Waiveマイナスワンの名古屋公演           ~その唄声と景色について~(12月15日)

名古屋CLUB QUATTROで12月15日に開催された、WaiveのファンクラブWAVE限定公演を観て来た。2026年1月4日(日)に日本武道館で解散する彼らにとって、最後のツアーの追加公演という位置付けで行なわれたライヴである。急性声帯炎で療養中の田澤孝介(Vo)は不在。杉本善徳(Gt&Vo)、高井淳(Ba)、貮方孝司(Gt)、サポートドラマーの山内康雄という“Waiveマイナスワン”の布陣だったが、ファンも合唱し、場内に“この日だけの唄声”を響かせた。ライヴというのは、二度と再現できない生もの。名古屋公演は、改めてその語義を噛み締める体験となった。

このレポートは私があくまでも私的に書き残すものである。メディアからの依頼によるライターとしての仕事ではなく、個人的にライヴを観させてほしいこと、そのレポートを何らかの形で発信したいことをWaiveサイドに伝え、了承を得たのが11月中旬。解散を前に残されたライヴ本数が少なくなっていく中、取材者として一歩踏み込み、Waiveが紡ぐ物語に少しでも主体的に関われたら、と願ったのが主たる理由だった。私事だが愛知は郷里であり、所用で帰省するタイミングだったため、巡り合わせかもしれない、とも考えた。その時点では、まさか田澤不在の公演になるとは露ほども思っていなかったのだが。

Waiveの公式発表によれば、田澤は11月29日の新木場公演後に喉の不調を訴えて受診。「声を出すこと自体を極力控えるよう医師から指示を受けている状況」であり、名古屋公演を田澤不在のまま開催する旨を発表したのは12月5日のことだった。

名古屋公演は図らずもレアな内容となり、記録者としてあの場に居合わせたことに、不思議な縁を感じている。12月22日(月)には大阪で武道館公演前のラストライヴが控えているため、詳細なライヴレポートというよりは、以下、印象に残った出来事と所感を綴っていく。



「皆さんの唄声を会場いっぱいに響かせてください」と事前にアナウンスはされていたものの、詳細はまったく分からないまま開演時刻の18時を迎えた。暗転すると貮方の声で前説が流れ、「皆さんの声が必須の公演となりますので。ちなみに、1曲目は『爆』となります」と予告(※『爆』とは、「ボム!」という勢いの良いシャウトだけから成る曲で、LAST EP『The SUN』に収録されている)。SEに乗せてメンバーが登場し、予告通り「爆」でファン共々“発声練習”を終えると、代表曲を放っていく。元来ヴォーカルも担う杉本はもちろんのこと、通常は一歩後方に控える高井もマイクを執り、頻繁に前へ出て煽る。貮方は満面の笑みを浮かべ、センターのお立ち台でギターを掻き鳴らすなどダイナミックにパフォーマンス。ファンはシンガロングした。演者以外が唄うことの是非がちょうど取り沙汰されているタイミングで、時勢に逆行し、これほどファンの熱唱が歓迎されている場所があっただろうか?

「ど~も、Waiveマイナスワンです!」と杉本が挨拶すると、ドッと笑いが起きる。ファンクラブ限定公演ということもあり、あらためて再結成及び日本武道館での解散を同時発表した2023年4月以降、活動を支えてきてくれたWAVE会員への感謝を述べ、このイレギュラーな内容での開催決行に至った想いも明かしていく。冗談まじりに「歌詞カード持って来ました、皆さん?」と問い掛けると「はい!」という声が挙がり、「さすがですね」と杉本。すると後方から小さな何かをつまみ上げてセンターのお立ち台付近へ。それが何であるかは遠くて定かに目視できなかったが、ファンは歓声を上げた。「今日のヴォーカルは、このハチミツ(※田澤のライヴ必需品)と皆さんなので」(杉本)

以降、田澤のヴォーカル音源が流れる曲と、そうでない曲とが混在する形でライヴは進んでいった。分身であるハチミツくんがセンターに鎮座している時は田澤の唄声が流れる、というルールが途中で設定されたが、音源にプラスしてファンが唄ったり、メンバーが唄ったりコーラスしたりと、唄声には多様なバリエーションが存在した。Waiveのファンクラブ限定ライヴを観たのは初めてだったので、厳密には比較できないものの、MCで杉本、貮方、高井によるクロストークが盛んに交わされる様子は私の目にはレアに映った(※通常のライヴでは、田澤と杉本の夫婦漫才的なMCが多い印象である)。「名古屋でライヴするの、これが最後ですよ。どう思う、田澤くん?」と身体をセンターに向けた杉本が、「……おらんっ!」と驚いたくだりには(間合いも絶妙で)爆笑が起きたが、「声が聴こえたような気がした」という呟きにはウルッと込み上げるものがあった。たとえ身体はそこに無くとも、田澤の存在を常に、全員が強く意識しながらライヴをしているのだと感じた。

イントロが鳴った瞬間に悲鳴のような歓声が沸いた曲は、田澤が作詞した「TIME」だった。ファンが持参した歌詞カードを貮方が受取り、それを手渡された杉本は、<…>も「てんてんてん」と読み上げ、一字一句漏らさず歌詞を朗読。「<ひび割れた時計を見てた>んでしょうね」「意味が分からん」などと、本人が居ないのをいいことに好き放題コメントする。自作の歌詞については「俺の欠席の時に」と笑う杉本に、「もう休んだらあかんやろ(笑)」と高井。12月23日(火)に名古屋で開催されるインストア・イベントにはスケジュールの都合で杉本の欠席が決まっているため、「怯えてる。観に行こうかな? ……出ろよ!(笑)」(杉本)とセルフツッコみ。そんなやり取りにファンは声を上げて笑った。

また、田澤が「TIME」の歌詞を書いていた時、隣に並んで杉本が「そっと…」の歌詞を書いていた、という貴重なエピソードなども明かされて、Waiveにはまだまだ私の知らない歴史があるのだな、と改めて実感。2000年代からもし自分がWaiveを取材できていたら、どうだったかな?などとぼんやり想いを馳せる。名バラードを2曲続けて披露した後、余韻に浸っていたところ、「“これを是非伝えてください”、と」と田澤から預かった伝言の体で杉本がスマホアプリを使って再生した音声は、小学生男子のような下ネタ(笑)。貮方は笑い過ぎて膝から崩れ落ち、「欠席したらこういうことになるんや……こわっ!」と震えていた。 

ライヴ終盤に向けての盛り上がりは凄まじく、貮方が煽りに煽った「ガーリッシュマインド」には鬼気迫るものを感じ、胸が熱くなった。まるで田澤が憑依しているかのように、声を嗄らして「もういっちょ行こう!」と繰り返すと、高井がドリンクを手渡す。そんなメンバー間の連携も微笑ましく、本来ならば見られなかった光景だな、と感慨深かった。

本編を終え、アンコールで再登場すると、杉本は「やっぱり、どのマイナスワンになったとしても、バンドというのは物足りなくなりますよね。それは別に“田澤くんだから”という話ではなくて。バンドって不思議なもので、上手いとか下手とかの話じゃないんだなって、改めて気付かされる。人間性みたいなもので出す音が集まってバンドになっているから」と飾ることのない率直な言葉で語った。「データで流れるもので補われるものは当然あると思うんですけど、やっぱり“人となり”によって生ものとして、“ライヴの会場だからこういう表情が出た”“こういう声が出た”みたいなのが起きて、“バンドの”ライヴになると思うから」

他形態のプロジェクトと比較してどちらが上、下という話ではないと断ったうえで、「バンドというのは、バンドでしか生まれないものがあるな、と」と続けた杉本。メモしたノートを手繰りながら、今改めて思う。あの日は、“ライヴは生ものだ”と再認識すると同時に、バンドとは何か?を考えさせられたし、その神髄が浮き彫りになる一夜だった、と。

『The SUN』封入の“爆カード”(Mカード)で再生できるよう、この日の記念に「ボム!」というシャウトをファン共々レコーディング。代表曲の大合唱でライヴは締め括られた。日本武道館での解散ライヴを1月4日(日)に控えるWaiveにとって、この度の出来事は正直、何と声を掛けて良いか悩むレベルのピンチだと、11月の第一報を耳にした時点では思っていた。しかし、名古屋CLUB QUATTROの場内は悲壮感に沈むどころか、「このライヴを楽しもう!」というポジティヴなエネルギーに満ち溢れていた。フロントマン不在の状況をシリアスに扱い過ぎることなく、終始笑いに昇華し得ていたのは、何もトークスキルの高さだけが理由ではないだろう。メンバーとファン全員がWaiveというものを大切に思うからこそ成立していたライヴ空間であり、実にバンドらしい、人間にしか決して生み出せない景色を私は見たのだと思う。


2018年に初めてWaiveに関する文章を書いた時、特に印象深い歌詞としてピックアップしたのが、<いつか、死ぬ僕たちは。>(『いつか』)というフレーズだった。生きていれば死ぬ、それは自明の理ではあるが、明るく言い切る胆力のようなものに衝撃を受けたのを覚えている。あれから7年の時が経ち、そのフレーズはより一層切れ味と現実味を増しながら私の心を刺し、「覚悟はあるのか?」と揺さぶってもくる。<LAST GIG「燦」>まで、残された日数はほんのわずか。2005年の一度目の解散には立ち会っておらず、再演を機にWaiveというバンドに巡り会った私は、日本武道館で何を思うだろうか? 彼らが紡ぐ物語の行方をしっかりとこの目で見届けたい。

末筆になりましたが……田澤さんのご回復を心から願っています。

                                                           大前多恵